interview

映画「弁護人」を企画したきっかけ

故 盧武鉉元大統領に注目するようになったきっかけは1988年にまで遡ります。国会では大がかりな聴聞会が開かれていました。1990年に三党共同宣言をし、大与党・民主自由党を結成した際に参加を拒んだことが決め手となり、彼に興味を持つようになりました。様々な選択肢の中から最も厳しくて過酷な選択をしたように思え、今後、どうなっていくのかが気になりました。これこそまさしく人生の岐路で、そこにはとても重要で追いかけるべき何かがあり、映画になる題材だと思ったのです。 ところが、彼が最後に悲劇的な死を遂げたことで、この企画の実現は先延ばしとなりました。
その後、厳しい経済状況の下で苦労している今どきの若い世代のことを考えるようになり、彼らを元気づけて前向きにさせるような話を届けたいと思うようになりました。最初は デジタルコミックスで配信するつもりでしたが、映画化することになったのです。

影響を受けた映画

興味があるのは、何かと対立した時、自らの信念を貫き通そうと苦闘する人々を描いた映画です。
イギリス映画の『わが命つきるとも』(66)は、トマス・モアが死に直面してさえなお、自らの信念に忠実である姿を描いた作品で、とても影響を受けました。他にもフランク・キャプラ監督の『スミス都へいく』(39)やラッセル・クロウ、アル・パチーノが主演した『インサイダー』(99)も好きです。フランク・キャプラ監督作品が大好きなんです。『弁護人』は純粋で無垢な人間が世界を変えようと尽力する映画で、それを伝統的で古典的な手法で描くことを目指しました。

政治家としての盧武鉉ではなく、弁護士時代を描いた理由

ひとりの男がドラマティックに根底から変わる、まさにその瞬間を捉えたかったのです。そこに焦点を当てたかった。それはまだ彼が政治家になる前の弁護士として働いていた時のことで、長官や大統領として任務に就いていた時のことではないと思いました。彼の中で起きた大きな変化について詳しく知りたかったのです。あまりにも劇的な変化は、それ以降の彼の人生において、最もタフで困難な選択をさせたと思います。

本作を韓国で公開するにあたって―

政治的なメッセージ性が強い、あるいはプロパガンダと受けとめられる可能性がある主題を扱う際には、非常に慎重にならなくてはいけない、いつもそう心に留めています。スタッフや本作に関わったすべての人たちが、商業映画の枠組の中で、この作品を万国共通の物語として作り上げねばという共通認識を持っていました。考慮すべきことがあまりにも多く、社会的にどのような影響を与えるのかについてはっきりとした期待を持つような余裕はありませんでした。
映画と文学において、伝える側の限界は確かに存在します。とはいえ、少なくとも人々の関心をもっと強く社会問題へ向けさせる力を持っていると信じています。映画を観て、現実に存在している問題に気付いたという人は多かった。ここ最近、人間の想像力は萎みつつあるという見解は、その通りだと思います。一方で、現実の生活への満たされない思いがあり、それがこの映画が熱狂的に支持された背景のひとつでもあるとも思っています。
※オリジナルプレス資料から